日々、読書記

日々の読書記録です

「ルポ貧困大国アメリカ」 堤 未果

 

 

ニュースなどでアメリカ経済は意外に好調だと聞く。利上げしても景気が減速しないほどの底堅さだと。一方で国内は分断され、非常にぎすぎすしていると言う人もいる。どちらが正しいのか、日本に住む僕らにはなかなかわからない。

 

たぶんどちらも正しいのだと思う。アメリカが標榜する新自由主義は、国民に過剰な競争を強いて格差を拡大させる。貧困の外部化は、かつて貧困国に向かっていた。それがフロンティアの消滅とともに(中国の富裕化など)、今では国内での層分化による経済的弱者の創造で達成される。

 

本書はリーマンショック前に書かれたものでかなり古い。けれど、当時の競争至上主義の空気のなかで、どのように貧困ビジネスが形成され、貧困自体が固定化されていったかは、今でもあまり変わらないだろうと思う。

 

たとえば、当時の時点で、サブプライムローン貧困ビジネスとして書かれている。金融機関が、そもそも銀行口座さえ持たない移民層の個人情報を持ち、土地の値上がりを前提に高率の住宅ローンを組ませる。それはいつか破綻するのが当然だが、目前の利益を最大化する競争市場主義のもとでは看過される。「格差構造を糧とするマーケット」なのだ。

 

貧困層向けの無料給食制度では、経費節減の名のもとにジャンクフード業界が介入し、子供の肥満の原因になっている。ジャンクフード業界は貧困層をターゲットに、その嗜好に合わせたマーケティングをしており、彼らに健康的な生活を送らせないインセンティブが働いている。

 

ほかにも、災害予防プログラムや学校の教育システムに、不適当な競争が導入された結果の事例が紹介されている。本来競争を導入してはいけない、命や生活に関わる領域で競争が行われる。その結果が社会のぎすぎすした雰囲気なのだろう。

 

個別の富裕層がより金持ちになるのには、行き渡った競争がたぶんいい。けれど、社会全体の失敗は総合的には富裕層にも不合理で、本来は国が格差是正などでそれに介入するはずなのだけど、ソ連の失敗以降そのまま来てしまった感がある。

 

資本論では、我々労働者は、利益の分配を受ける対象ではなく、最低限の生活にかかる費用分を代価に労働力を売るだけの存在とされている。貧困層を対象にしたデフレビジネスは、その代価をますます低廉にし、資本家以外の貧困を構造的に拡大させることになる。

 

そんなのは嫌だなと思う。そういう意見が様々なところから出てきていることには希望がある。

 

ただ、何年か前に「ノマドランド」という映画が話題になった。ああいう強い生き方への憧れのようなものもなくはない。主人公たちは全員老齢で、美しくもないのに、なぜかかっこよくさえあった。社会の構造が簡単にはかわらないのであれば、せめて僕たちは助け合って生きていければと思う。