日々、読書記

日々の読書記録です

「推し、燃ゆ」 宇佐美 りん

 

アイドルファンの気持ちがわからない。なぜならアイドルファンだったことがないから。それを言ったら、炭鉱夫の気持ちも、郵便配達員の気持ちもわからないのかもしれないけれど、アイドルファンは仕事ではなく、生活の余暇の部分で行うもので、やるもやらないも好き好きだから、より一層わからない度合が高い気がする。

 

この小説の主人公は熱心なアイドルファンをしている。アイドルを追いかけることが生活の中心になっている。一般にアイドルのファンと言うのは、恋愛を投影しているものかと思っていたけど、主人公にとってのアイドル(「推し」)はそういう存在ではないらしい。

 

むしろ、主人公が日常生活に適応できない、その代償を求めているみたいに見える。「推し」のアイドル自身も、華やかな芸能界に適応しきれていないように見える(そう感じること自体も主人公が自身を投影している感じもする)。それでも頑張る姿を「愛おしい」などと言う。

 

ある日、「推し」がファンを殴ってしまい、SNSを中心に大炎上する。芸能人にとって致命的な出来事だろう。主人公はそれでも「推し」を応援し続ける。むしろ、どんどんのめり込んでいく。そして、「推し」が芸能界からはじかれていくように、自身の家族、学校、バイト先との不協和も増していく。

 

主人公にとって、「推し」は生きていくための中心だから、その「推し」がファンを殴ったり、引退を決めたりするときには、主人公自身の魂がゆらぐことになる。

 

本来、主人公の年頃(高校生)に、個人は社会に向き合い、リアルな世界にそれぞれの立ち位置を定める必要があるのだろう。しかし、肝心の大人が、この小説ではそれを導く役割を果たせてはいない。

 

この小説が芥川賞を取ったとき、サリンジャーライ麦畑)と対比する評判が多かった。けれど、社会が確信を失い、大人が子供を導けない世の中では、ホールデン・コールフィールドだって、べつの形で途方に暮れるかもしれない。なにに怒ればいいのかさえ難しい。

 

作者はあとがきで、「信じられる大人も信じられない大人もいる」みたいなことを書いている。作中の主人公にも、そんな大人がいるといいと思う。