日々、読書記

日々の読書記録です

「歴史人口学で見た日本」 速水 融

 

 

 

昔のことは意外にわからない。何かの意図があって建てられたはずの設備の用途が、数十年のあいだにわからなくなっていたりする。それを作った役所は存続しているのに、資料が散逸してしまうらしい。ましてろくに資料なんて作らなかった時代のほうが長い。統計資料など、その概念さえ最近のものだ。

 

江戸時代の人口が3千万人くらいで停滞していたという話をたまに聞く。手元の日本史の参考書によると、「飢饉の続発など、農業経営が安定しなかったことで、農民の生活には余裕がなく、江戸時代の人口は停滞した」とある。

 

こういうことは誰が調べるのだろうとたまに思う。誰かが季節ごとの自動販売機の最適な補充のペースを考える。一方で、江戸時代の人口がどうだったか、停滞していたのであればその原因は何だったのかを考える。不思議な話だと思う。僕はどちらも考えたことがなかった。

 

本書は歴史人口学という学問で、江戸時代を中心に日本の人口の推移を分析している。分析には「宗門改帳」が使われている。キリシタンではないことを証明するために、全人口を対象に継続的に作られたものなので、人口の変化や移動を知ることができるらしい。

 

滅多に残っていない100年分連続した宗門改帳から、一人ひとりの誕生や死亡、移動をプロットしていく。そのなかで特徴的な要素が抜き出される。例えば、以下のような内容だった。

 

・江戸時代の全体人口は増えていない

・ただし、農村部では出生数は死亡数より明らかに多い

・農村部の余剰人口は都市部に移り、多くがそこで死亡したり、未婚のままになる

・また、出稼ぎ者が農村部に戻っても、大体が子供ができやすい時期を過ぎている

・結果的に人口は停滞することになる

・出稼ぎに行く貧農層は頻繁に絶家し、その穴を豊農層の二男などが埋める

・ほか、江戸時代のなかで核家族化が進む時期がある

・九州のほうでは、相当数の離婚や婚外子が確認される

 

最後の2つは、これに行動傾向の観点を加えるとエマニュエル・トッドみたいになる。実際、トッドは速水融のことに頻繁に触れている。

 

家の近くの、見慣れない形の道祖伸などを見ると、誰がどういう気持ちで作ったのだろうと思う。脇の年号で見ても数百年前のものだったりする。当時のどの辺りに住んでいた人が、どういう気持ちで作ったのか、今はわからない。今後もわからないのだと思う。

 

けれど、一方で、宗門改帳から江戸時代の農村部の人口動態を調べている人もいる。結構な数の人が産まれ、移動し、死んでいく。どういう気持ちで生きていたのかと思うと、それは学問ではないのだろうけど、読者としてであればとてもおもしろい。