日々、読書記

日々の読書記録です

「宮本から君へ」 新井 英樹

 

≪あらすじ≫

主人公(宮本)は新入社員、仕事はなかなかうまくいかない、通勤電車で惚れた女の人には話しかけることもできない。仕事のやりがいとはなにか。自信を持つとは。みたいな、禅問答のような問いに、宮本はすさまじい熱量を答えとして、仕事にも女にもあたる。紆余曲折を経ながら、心からの恋人もでき、少しずつ人生の形のようなものを作っていく。そんなときに、悪意の塊のような存在に恋人がレイプされる。宮本は圧倒的な体格差に関わらず、素手での復讐戦を誓う。

 

≪感想≫

主人公の宮本は非常に暑苦しい。周辺の人物も個性的ではあるが、見事に全員が暑い。ただし、松岡修造的なものではない(松岡修造的な暑さは、同作者の別の漫画で揶揄されている)。宮本は、自分の暑さが自己執着的なものであることに自覚的であり、周囲にも頻繁に指摘されて悩む。

 

その愛は「自己愛」なのではということだ。「自己愛」が幼児性の典型だとすれば、それを脱すること、それを乗り越えた先の暑さには「成熟」が必要になる。この20年以上前の漫画は、おそらく成熟の話なのだと思う。

 

乱暴な上司に社外の宮本が対峙したときに、周囲の社員は喝采するが、宮本は便乗するなと激昂する。とどめられない不満があるなら自ら対峙せよということだろう。

 

僕たちが成熟するのは難しい。なぜなら僕たちには真の意味での対峙の必要がほとんどないからだ。豊かな国の、成熟した社会のなかでは、用意された仕事を用意されたとおりにこなすという、一種の幼児性が支持される面さえある。

 

宮本はそれを潔しとはしない。それは仕事や恋愛のすべての面で発揮される。そして、恋人に対するレイプ犯で、悪魔のような存在に挑むときにそれは結実する。戦いは殺し合いのような凄絶なものになる。しかし戦いの相手はレイプ犯だけではない。その先の恋人との関係や人生を含めたものだった。

 

僕たちに成熟が必要とされているのかは分からない。成熟しないでいい社会とは、うまくいっている社会とも言えるのだから。そしてそういう社会を(壊れかけだけど)、僕たちは作ってきた。けれど、宮本の異常な暑さを見ると、原初の憧れのようなものは感じてしまう。

 

読後、僕はとりあえず腕立て伏せをしてみた。そんな漫画はなかなかないと思う。

「犬のかたちをしているもの」 高瀬 隼子

 

≪あらすじ≫

主人公の女性は、過去の子宮の手術の影響で性行為を忌避するようになる。付き合ってしばらくはできる。けれど段々と嫌悪感を抱くようになってしまう。その事情を知っても長く付き合ってる男がいる。一見彼とは純粋に精神的なつながりを持てたようだが、他所の女と金を介在させた性行為をしていたことが判明する。そして、その結果できた子供を引き取ることを、恋人からだけでなくその女から提案される。女とは定期的に会うことになる。主人公は、次第に子供を引き取って恋人と育てる意志を固めていく。

 

≪感想≫

精神的な愛と見えつつ、男は性行為を他所ですませたうえ、子供まで作ってしまう。相手の女は、子供を産むのは経験だと捉えつつ、育てる気はない。そこで、男だけでは心許ないと、相手の男の恋人にも一緒に育てさせようと思う。あなたには子供は産めないでしょうという含意がある(男が子供を欲しがっていたことも明かされる)。主人公は、すべてを悲観的に、かつずれた考えをするので、恋人はどのような状況でも自分が主人公と一緒にいる必要があると思っている。

 

すべての人物の言っていることは飛んでいるようでいて、一定の枠のなかにはある。世界は広いから、このような発想をする人がいてもおかしくはない。むしろ、高校生で子宮の手術をした女の子に、友人の父親としてお見舞いに来て、結婚もできない、かわいそう、と涙ぐんで見せるほうが狂気なのかもしれない。本人がその異常さに決して気が付かないだろうところにこそ狂気がある。それに比べれば、主要な登場人物はそれぞれ、一応自分の行動原理のおかしさには自覚的だ。

 

結果的に最後はわりと収まりのいい感じになる。子供が主要な筋になっているので、安心するとも言える。滅茶苦茶なまま進んでほしいような気もしたけれど。